金沢の愛すべき喫茶店

 賢坂辻の想い出に関して書きかけなのだが、書きたいことが多すぎて取り留めが無くなってしまいそうだったので、少し別のことを書きたい。
 学会などで日本中いろいろなところに行くのだが、文化レベルの高い都市にはいくつか共通点がある。ポルノ専門の映画館があること。かゆいところに手が届く本屋があること。そして喫茶店、それもスターバックスなどのチェーン店ではなく個人経営の渋い喫茶店が多いことだ。
 以前京都に旅行したときに、その喫茶店の多さに驚いた。だが、金沢だって負けてはいない。おそらく人口あたりの喫茶店の数と質は日本トップクラスであろう。
 私は高校生の頃に、喫茶店で飄々とコーヒーを飲む文学青年の姿にあこがれていた。そして、「大学に入ったら一件でもいいから行きつけの喫茶店を作る」と常々野心を燃やしていた。その野心は高校の三年間で肥大の一途を辿り、「やはり俺のような文学青年予備軍が通うような喫茶店には麗しい(が学の無い)女給が必要だ」とか「やはり見目麗しい女給がいるような店では、インテリのように振る舞わねばなるまい。持っているだけでインテリに見えるような本はどんなものだろうか」などと考えるようになっていった。
 そして、晴れて金沢大学に入学した後、街中に点在する渋い喫茶店の数々に小躍りして喜んだ。大学入学直後から、行きつけの喫茶店を作るため、そして見目麗しい(が、学の無い)女給に出会うために、純文学の文庫本片手に片っ端から喫茶店に突撃していったのは言うまでもない。そしてあれから十年、文学青年にはなり損ない、私のような文学青年崩れに胸ときめかす見目麗しい(が、学の無い)女給にも出会い損なったが、なんとか行きつけの喫茶店を何軒か持つことができた。
 というわけで、ここ十年で私が常連となった喫茶店を三軒ほど紹介したい。当然ながら三軒とも、見目麗しい(が、学の無い)女給はいないので、純文学や難しい哲学書を持って行く必要ない、とだけは書いておく。現実は、そして青春とは時にかくも厳しいものなのだ。

名曲喫茶 ぱるてぃーた

 金沢の目抜き通り、広坂大通りに面した北山堂ビルの地下にその店はある。
 歩道に申し訳程度に小さな看板が出ているが、おそらく多くの人はその店の存在にすら気付くことはないだろう。細く急な階段を下りると、暗く小さなドア。ドアには「コーヒー、紅茶400円 禁煙」とだけ書かれた張り紙がある。一見さんは、もしかしたらこの時点で逃げ出してしまうかも知れない。
 中に入ると、十席ほどの客席と、巨大なスピーカーが二つ。内装はシックな家具で統一してあって、もの凄く雰囲気がいい。地下ということもあって、大通りの喧噪はここまでは届かない。カウンターには寡黙なマスターが一人、奥には大量のクラシックのCDが並べられている。ここは、全国的に見ても絶滅危惧種になっている名曲喫茶なのだ。
 メニューはコーヒーと紅茶、フルーツジュースのみ。後は、コーヒーを飲みながらひたすらクラシックを聴く、という店だ。客層は私を始めとして常連のみで、土日ですら客席が半分以上埋まっているのを見たことがない。曲は基本的にマスターが流すのを聴くのみだが、時々常連さんがCDやレコードを持ち込むのを見たことがあるから、リクエストも受け付けているのだろう。その辺はまだ試したことがない。
 私は三回生の頃から通っており、よくここに入り浸って本を読んだりレポートを書いたりした。一昨年の夏、通い始めて五年目、ようやくマスターから話しかけられ、名刺をもらうことができた。常連の仲間入りを果たしたわけである。
 21世紀美術館のすぐ裏手、という観光一等地にも関わらず観光客がほとんど来ない、穴場中の穴場の店だ。静かな午後の一時を過ごしたい人にお勧めである。ちなみに、コーヒーの味は月並みなので、美味しいコーヒーにこだわる人にはお勧めしない。あくまでクラシックを楽しむためのお店、と理解しておいて欲しい。


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桂珈琲

 兼六園下の交差点、兼六園桂坂の斜向かいのビルの二階でひっそりと営業している。これまた兼六園からすぐだというのに常連以外の客を見ることは少ない。
 まず、この喫茶店に関して一つ注意がある。それは、この店のマスターは余りにも客商売に向いていないのだ。機嫌が悪いときはもの凄く難しい顔で座っていて、満足に客の相手をしないし、機嫌のいいときは逆に上機嫌に話しかけてくるが、興が乗ってくるとすぐに客に説教を始める。少なくとも静かに本を読んだり、数人で休みに入るような喫茶店ではない。
 ただ、そのコーヒーの味だけは超一流である。全く宣伝しないのに、全国からコーヒー好きがここのコーヒーを飲むためだけに金沢を訪れるほどだ。マスターからの説教を聞き流し、時には受け答えをし、そしてその後にコーヒーを飲めば、「天は二物を与えず」の意味を噛みしめることができるだろう。
 メニューはコーヒーのみ。数百種類からなる多彩なブレンドが売りの店だが、客は自分から銘柄を指定してはいけない。客はまず、カウンターに座ったらじっとしていればいい。目があったら、一言「コーヒーを」と注文すること。もし生意気にも銘柄を指定しようものなら「顔を見ればどんなコーヒーを飲みたがっているかは分かる。注文する必要はない」と一蹴されることもあるので注意。あとは、マスターがその日の気分と客の表情から適当に選んだブレンドコーヒーを出してくれるので、それを飲めばいい。間違いなく、もの凄く、それこそ涙が出そうになるくらい美味しいコーヒーが出てくる。2杯目からは、「もう少し苦いのを」とか、「もう少しコクのあるのを」とか言えば、それに従って違うブレンドを選んでくれる、という具合だ。値段はその時のブレンドによって変動するが、千円を超えることはまずない。五・六百円程度のことが多い。
 と、ここまで書くと本当に偏屈な店に思われるかも知れないが、一・二年も通えばマスターとの接し方が自然と身についてくるので、そうなれば立派な常連として扱ってくれる。難しい顔をしたマスターが煎れる難しいコーヒーを、これまた常連が難しい顔をしながら飲む愉快な喫茶店、それが桂珈琲なのだ。


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紅茶屋 山屋

 東山茶屋街のど真ん中にあって、観光案内などにも度々取り上げられるので、知っている人は多いかも知れない。ここまで主にコーヒーをメインにした喫茶店を紹介したので、紅茶専門店を一軒。
 山屋は東山の町屋を改装した店舗で、紅殻格子越しに茶屋街を眺めながら紅茶を一服できる喫茶店。世界各国の紅茶や、多種多様なフレーバーティーが楽しめる。その値段も、ティーポット一杯(ティーカップ2杯強)で800円〜1500円ほど。男一人で行くと紅茶でお腹が膨れてしまうので、客人に東山を案内するときに利用している。紅茶葉の量り売りもしているので、気に入った銘柄があれば帰り際に買って帰るのもいいだろう。
 この店は上記した二件と違って、土日は観光客で常に満員なので、平日に行くことをお薦めする。

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