「誰」と「何」を食べるか

喋々喃々

喋々喃々

東京・谷中でアンティークきもの店「ひめまつ屋」を営む栞(しおり)。きものを求めるお客ばかりでなく、ご近所さんもふらりと訪れては腰を落ち着ける、小さなこの店に、ある日、父とそっくりの声をした男性客がやってくる。その人は、栞の心のなかで次第に存在感を増していき――
人を大切に思う気持ち、日々の細やかな暮らしが、東京・下町の季節の移ろいとともに描き出される、きらめくような物語。

 デビュー作でベストセラーにもなった「食堂かたつむり」は未読。
 20代後半で和服の古着屋を始めた栞と、40代前半(と思われる)で妻子ある春一郎との、不倫の恋を描いた恋愛小説。結論から言うと、凄く面白かった。傑作だと思う。
 物語のほとんどはそんなに色っぽい話ではなくて、二人のデートはほとんどが「食べること」。ただならぬ関係の二人は、静かに向かい合って料理を食べるだけ。ただ、その一緒に物を食べる、という行為を通じて二人が徐々にその距離を近めていく。最初は喫茶店でお茶、その次にあうときは下町の蕎麦屋、そして居酒屋、鍋物、、というふうに、明らかに二人の距離が近づいていくのは中々にスリリングだ。また、その食に対する作者の意識の高さもすばらしい。ちょっと読んでいて小腹が空いてしまうほど。
 あと、主役の二人もいいけれど、脇を固める近所の人々がまたいい。いかにも東京の下町の、粋な江戸っ子たちで一服の清涼剤になっている。特にたびたび栞を町歩きに誘うイッセイさんがいい。
 あとは、やっぱり栞が和装派なのが嬉しい。物語は四季を通じて描かれるんだけど、その季節季節の栞の和服姿がいかにも和服好きの若い女性、という感じで、その意識の高さも合いまって非常に心地良かった。桜が終わった頃に、絹の袷から木綿の単衣へ、梅雨の頃に木綿から麻へ、夏は浴衣。秋になったらまた絹の袷。季節ごとに繰り返される衣替えが時の流れを静かに表現してくれる。
 二人の関係を不愉快に思ったり、はっきりしない結末にもやもやした感じを受ける人もいるだろうけど、本当に質の高い恋愛小説だった。おすすめ。