賢坂辻のこと(1)

 金沢の思い出を語るにおいて、やはり賢坂辻のことは書いておかねばなるまい。なにぶん量が多くなるので、複数回に分けて書こうと思う。
 賢坂辻というのは私が十年にわたって居を構えている界隈のことで、正式な町名ではない。藩政期には剣先の字を当てていたらしい。地名の由来には大きく二つの説がある。一つは久保市乙剣宮と椿原神社の氏子町の境界線だったから、というもの。もう一つは浅野川にそって山と川の間に、金沢城に向かって剣先のように突き出た平地に出来た町だから、というもの。どちらにせよ、賢坂辻がなんらかの境界線上に発達した町であることには変わりない。そして、そのせいか常に奇妙な魅力をたたえた界隈である。しかし、地元の人はその魅力に気づいていない。
 新幹線開通に向けて、街中は急速に再開発が進んでいる。ちょっと気を抜くと次々と新しいビルが建ち、風景が一変してしまう。特に賢坂辻はその歴史に反して町並み保存地区に指定されていない。だから、今のうちに賢坂辻について書き留めておくことは重要だと思う。
 では、賢坂辻のメインストリート、兼六大通りを桜町交差点から金沢城に向かってたどることにする。
 まず桜町交差点だが、兼六大通りと県道27号の、2本の大通りが交差する。数年前までは小立野トンネルが開通しておらず、もう少し穏やかな界隈だった。今では街中と山側環状道路を結ぶ動脈として年々交通量が増えている。この交差点を山側に少し入ったところに椿原神社がある。古い歴史を持っており、十六世紀に一向一揆の出城として開かれ、一揆滅亡後に仏教勢力を封じ込めるために神社が移設されたという。その名の通り椿がたくさん植えてあり、二月には一斉に満開となる。その境内からは一向一揆の本拠地であった金沢御堂(現金沢城)を見ることが出来る。
 話を兼六大通りに戻そう。桜町交差点にあるコポというパン屋があって、もう長いこと利用している。朝6時からやっていて、よく徹夜明けに買いに行った。食パンとフランスパンが絶品である。そして、つい去年までこのすぐ近くに桜湯という銭湯があった。私のホームグラウンドである兼六温泉が休みの時などは、よく通ったものだ。だが、残念ながら廃業、跡地には普通の住宅が建設中だ。
 もう少し歩いて行くと、兼六温泉の煙突が見えてくる。温泉100%の銭湯で、露天風呂まである。金沢市の銭湯代は2009年現在420円。十年前は350円だった。金沢の銭湯事情については後で別に書きたい。そして、暁町の交番の近くにファミリーマートがある。便利なのと裏腹に、緑の看板が少し目障りだ。数年前に出来たのだが、残念ながらそれ以前にどんな建物があったのか忘れてしまった。ちょっと気を抜くと風景はどんどん変わってしまう。ファミリーマートのすぐ近くには、これまた去年オープンしたばかりの「メガネのハラダ」がある。いかにも郊外店舗らしい悪趣味なきんきら看板で、正直あんな店を作ってほしくなかった。見たところ客もあまり入っていないようで、まあじきに潰れるだろう。
 交番を過ぎると、ユーブックという本屋がある。私のアパートから徒歩三十秒と行ったところで、非常に便利に利用させていただいている。ユーブックの正面にはかず屋という居酒屋があって、おそらくもっとも頻繁に利用している飲み屋である。ちなみに私のマイ箸が用意してあって、何も言わずとも席に座ればいつもの黒帯純米と突き出しが出てくる。
 と、ここまで書いただけでだいぶ長くなってしまった。続きは後で書こうと思う。