やれやれ、やっぱりこうなったか

http://www.shimotsuke.co.jp/town/region/south/iwafune/news/20090317/124597
 県市町村合併推進審議会(岩崎修会長)は十六日、県市町村合併推進構想に掲げる栃木地区一市五町(西方、大平、藤岡、岩舟、都賀)の構想対象市町(合併の組み合わせ)について、岩舟町を除く一市四町に変更する案を県から諮問を受け、これを了承した。同審議会は十八日に答申し、県は二十七日に決定する。

http://www.shimotsuke.co.jp/town/region/south/iwafune/news/20090326/128289
 岩舟町の針谷育造町長が民意に反して一方的に佐野市との合併協議会を休止したとして、同町の住民グループ「佐野市との早期合併を実現する会」(中田勝雄代表)が二十五日、針谷町長の解職請求(リコール)に向け、手続きを開始した。同日夕、中田代表が、金沢真義町選管委員長に解職請求書と解職請求代表者証明書の交付を申請した。証明書は三十日にも交付される見込みで、同会は同日から一カ月間、署名活動に入る予定。

 先日触れた岩舟町の合併問題だが、相も変わらずといったところか。
 結局岩舟町を除く一市四町での大合併による新・栃木市が誕生。こちらから話し合いを打ち切った以上、佐野市との合併も絶望的。今からリコール、町長選挙をしていたら絶対に来年度中の合併は不可能だ。おそらくこれからも岩舟町は岩舟町として単独で存在していくことになるだろう。
 今回の騒動を簡単に纏めよう。
 三つの村が合併して出来た岩舟町には合併に対し、主に三つの派閥が存在する。
 一つは栃木市との合併派。これは主に大平町栃木市と隣接する静和地区に多い。もう一つは佐野市との合併派。これは佐野市と隣接する小野寺地区に多い。そして前回は触れなかったが、もう一つ、そもそも合併に反対する人たちもいることを忘れてはならない。今でこそ目立った産業のない町だが、農村としての歴史は古く、岩船石の採掘で潤った時期もある。独立独歩の気概が高い町なのだ。
 そして、前町長は栃木市との合併を公約に選挙に当選。栃木市を中心とした一市五町の大合併を目指していた。しかしここに来て突然の住民投票実施、佐野市合併派の勝利、前町長の辞任、無投票での現町長の当選、突然の合併協議休止。
 とりあえずここで私の意見を書いておこう。私自身は、栃木市と合併するべきだったと考えている。いや、どちらと合併しても良いと思うのだが、前町長が当選し、実際に一市五町の大合併が動き出していた以上、栃木市と合併しておくのがベターな選択肢だったと思う。
 だいたい一度選挙で前町長を選んでおきながら、ここに来て住民投票をやる時点でなにかおかしいのだ。「佐野市との早期合併を実現する会」の中田代表は「民意に反する」と憤っているようだが、笑わせてくれるではないか。栃木市との合併派がボイコットを企てた、と噂されるような投票数が規定ギリギリだった住民投票*1を民意と言われても説得力がない。選挙の洗礼を受けている前町長に土壇場でいちゃもんをつけて辞職させ、選挙の洗礼を受けていない現町長をタテに佐野市との合併を推進する。これを少なくとも私は民主主義とは思えない。
 中田会長は小野寺の出らしいが、おおかた栃木市役所よりも佐野市役所の方が近いとか、向こうの議院と懇意にしているとか、そういったくだらない理由でもあるのだろう。そう勘ぐられてもおかしくない、今回の合併騒動だ。
 では針谷現町長は何をしたかったのだろうか。「佐野市との早期合併を実現する会」の肝煎りで町長になったはずだが、突然の合併白紙。ここからは私の空想になるが、針谷町長は第三の勢力である合併反対派なのではないだろうか。となると、住民投票から以降全てが茶番だったことになるが、騒動の原因がすんなりと理解できる。
 岩舟町が単独で生き残っていけるかどうかは疑問が残るが、おそらくしばらくは合併の話は持ち上がってこないだろう。私が大金持ちだったらふるさと納税で少しは財政を助けてあげたいが、腐れ学生の身の上ではこうして時折下野新聞の記事を読んで言及するのが精一杯だ。何はともあれ今後の岩舟町の発展を祈って止まない。