最近の金沢に関するニュースをいくつか

 会社のウェブページとブログの更新が滞っているのは、決してサボっているわけではなくて、ちょっと腰をやってしまいまして、慢性的な腱鞘炎もあいまってパソコンに向かうのがしんどいためです。医者と整体に通って、完治に近い状態になってきましたので、来週くらいからちょこちょこ新しくしていきます。
 最近の、金沢に関する気になるニュースをいくつか紹介。

金沢和傘に継承者が?

金沢和傘、継承へ光 職人1人、市が来月研究会
http://www.hokkoku.co.jp/subpage/HT20091129401.htm
 30もの工程を一本一本手作りする松田さんの元には、全国から弟子入り志願者が足を運んでいるが、和傘の需要が少ないことや高齢などを理由に弟子をとってこなかった。「弟子を育てても、仕事がないから生活していけん」。他人に自分のような苦労をさせたくないと、松田さんは自らの代で金沢和傘を終わらせる覚悟だったという。

 一方、「クラフト(工芸)」を特色に掲げる金沢市は金沢和傘の伝承を願い、山出保市長自らがたびたび松田さん方を訪ねるなどして後継者育成を働き掛けてきた。

 今回、松田さんから「自分は教えられんが、代わりに和傘づくりを教えてくれる人がいれば協力したい」との提案があり、市側が和傘の産地である岐阜市加納地区の職人に協力を依頼したところ、快諾が得られた。

 来月発足する「金沢和傘伝承研究会」には工芸技術の素地がある木工や表具などの若手職人が参加、各専門分野を生かして製法を習得する。顧問として加わる松田さんは「先輩方が守ってきた金沢和傘やから、途絶えさせるのは申し訳ないと思っとった。後継者ができるのはやっぱりうれしいもんや」と喜び、研究会では職人に一通りの技術を習得させた上で、独自の製法部分は自らが手ほどきしたいとしている。

 私も松田さんの和傘を2本使っています。北陸の吹雪に負けない非常に丈夫な和傘で重宝しています。丈夫と言っても、木・紙・糸のみで作られた金沢和傘は毎日使っていると端々が解れてきます。そういった時には松田さんのところに持っていくと数百円でたちまち直してくれるのですが、その松田さんも85歳。松田さんがいなくなったら、解れる度に京都や浅草といった遠くの傘屋まで持ち込む必要が出てくるので、本当に不安に思っていた和傘ユーザーは多かったはずです。二〇〇九年現在、松田さんの技術を継承した職人は金沢美大卒の間島円さんのみで、間島さんも現在は金沢に住んでいるわけではありません。今回、金沢和傘伝承に光が差した事は非常に嬉しく思います。

急行能登、特急北陸臨時列車に格下げ

往年の碓氷峠越え「能登」引退へ
http://osaka.yomiuri.co.jp/teppan/tr91204a.htm
 丸い鼻の形をしたボンネット型の先頭車両が愛らしい。「489系」だけで編成する夜行急行「能登」(金沢―上野)。かつて屈指の難所として知られた旧信越線の碓氷(うすい)峠を上り下りした。長野新幹線開通で碓氷峠を挟む横川(群馬県)―軽井沢(長野県)間が廃線となり、1997年からは上越線経由に変更。峠越えはなくなったが、来年3月、JR西日本ダイヤ改正で定期列車から姿を消す。

 首都圏フリーきっぷでのB寝台利用が出来るために重宝していたのですが、新幹線開通を待たずに引退が決定的のようです。去年のムーンライト大垣に引き続き名物夜行列車の引退。私も実家や東京方面に行く際にかなり頻繁に利用していたのですが、1000円高速道路の影響か、今年は週末ですらガラガラでした。残念。