和服を着始めた頃のこと

 金沢での生活の中で、私に訪れた最大の変化は和服を着始めたことだ。大学院に進学してしばらく経った頃、M2の秋頃から着始めた。だからもう三回冬を越したことになる。最初はもらい物の紬と、市内の古着屋で買った二束三文のウールアンサンブルしか持っていなかった。下着は、公民館のバザーで、百円で買ったモスリンの襦袢を自分で修繕しながら着回していた。この時着ていたウールアンサンブルと襦袢はその後糸を解いて、それぞれエコバッグと寝間着用の腰紐となって今でも私の生活の中にある。自慢ではないが手先は器用な方だと思う。
 和服を着始めたきっかけはあまり覚えていない。たしか、ちょっと奇抜なおしゃれを模索していた頃だったのだと思う。私は学部時代、肉体労働のバイトに明け暮れていたのと、そもそもファッションに興味がなかったので、いつもジャージだった。裾のすり切れたジャージを一年中着ていた。寒さには強い方なので、真冬でも下にTシャツを重ね着するぐらいで、コートなんか着たことがなかった。一張羅はぼろぼろのジャケットと一枚しか持っていなかったジーンズ。足下は素足に下駄かサンダルで、いわゆる「男おいどんスタイル」だった。
 そしてある日、理由は思い出せないが研究室の後輩に「オシャレ宣言」をした。ジャージを脱ぎ捨てオシャレな人間になる、冗談半分で宣言をしたのだ。
 その後、ではどのようなオシャレをしようか、と少しまじめに考えた。根っこのところがバンカラ気質なので、チャラチャラした恰好は絶対にしたくなかった。ただし、シャツとスーツでビシッと決めるのも気が進まない。ユニクロなどで安く済ませるのも、なんとなく嫌だった。そして、ある時本当に突然「和服を着よう」と思い立った。幸いにも紬を一枚持っているし、古着屋で安く手に入れることもできる。20代で和装なんて金沢でもほとんど見かけないし、かなり奇抜なおしゃれだ。それに、城下町に似合うではないか。そんなことを考え、インターネットと図書館で情報を集め始めた。
 ある程度情報を集めた後、とりあえず和服を着て帯を締めてみた。最初は貝の口にも結べずに、浪人結びで何とかかんとか締めた。そして、近所のコンビニに出かけてみた。さすがにまだ学校に着ていく勇気はなかった。
 下駄を履いて、おそるおそる夜道を歩いていく。財布は袂に入れて、この時点でなんだかテンションが上がっていくのが分かった。コンビニで雑誌を立ち読みして、缶コーヒーを買って帰った。
 家に帰り着いて、私は緊張が解けて興奮していることに気付いた。和服は格好いい、そして気持ちいい。そんなことを考えながらコーヒーを飲んだ。
 その後、これは学校にも着ていけるんじゃないか、と考えた。学校から帰るたびに和服に着替え、帯の結び方も何パターンか練習した。突然和服で登校して驚かれないように、今度から和服になるわぁ、と後輩に何度も宣言し予防線も張った。こういう時、私は意外と小心者である。
 その後は、今までこのブログに書いたような感じだ。和傘を買い、ネットできよべ呉服店を知り、袴と出会い、さらに様々な本で和服のことを学んで今に至っている。
 和服は私の生活をもの凄く豊かにしてくれた。和服は私のようなメタボ体型でも自分のスタイルみたいなものを作っていくことができるし、季節ごとの着こなしは日本の四季を何倍にも豊に感じさせてくれる。何よりも、初めて会う人にも一発で覚えてもらえるので、交友関係も広くなった。
 おそらく金沢で、それもお城の近くで暮らさなかったら絶対に和服を着ようとは思わなかっただろう。今となっては、金沢に来て本当に良かったと思っている。