「許されざる者」

9月にイオンシネマ金沢で鑑賞。

50点
悪くはないが、本家と比べると余りにも軽い・・・。

1992年にアカデミー賞を受賞したクリント・イーストウッド監督の代表作のリメイク。原作を西部劇から時代劇に変え、日本流にアレンジ。
監督は「悪人」の李相日(イ・サンイル)、主演は今や世界のワタナベケン。

まず良かった点から。
北海道の大自然が美しい。前半はある種のロードムービー的雰囲気なんだけど、この部分の画面の美しさだけなら本家を超えていると思う。
あとは、アイヌの設定。主人公の奥さんがアイヌだったりとか、同行する若者が原作のガンマンに憧れる少年からアイヌの青年になっていたりとか、作品の端々にアイヌ人やアイヌ文化が散りばめてあるんだけど、これは正解。日本で西部劇をやる難しさは、要するにインディアンがいないからだと思うのね。その点、舞台を北海道にすることで、アイヌという先住民族をインディアン的に登場させることができ、「西部劇らしさ」が出たと思う。

ただ、やっぱり軽いよねえ。
原作はさ、マカロニ・ウェスタンで名を上げ、その後数々のアクション映画でスターにのし上がったイーストウッドが自ら監督・主演で、「亡き妻に不殺を誓った老ガンマン」を演じたから重いわけですよ。
マカロニウェスタンという一つのジャンル映画を代表する男であるイーストウッドが、それまでのキャリアの集大成として西部劇、それも「最後の西部劇」と後に呼ばれるような映画を撮った、という重さ。イーストウッドが放つ弾丸の重さ。それらを果たしてこの映画を企画したプロデューサーは理解していたのだろうか?

ストーリーは、微小なアレンジはあるものの、本当にきちんとなぞっている。当然、その努力は認めるし、概ね成功してるけど、上手く行っているがゆえに日本版の軽さが鼻についてしまう。
渡辺謙も良い芝居をしているけれど、やはり原作のイーストウッドと比べると、「そもそも渡辺謙がこれを演じる意義」を全く感じない。
渡辺謙では力不足、とは当然全く思わないけれど、別に彼は日本の時代劇というジャンル映画を背負っているような役者ではない。

要するに、「『悪人』でそこそこ海外に名が売れた李相日に、世界的に有名な原作で、ハリウッドでも人気の渡辺謙を使って映画を撮らせれば海外でもウケるだろう」というような、安易な考えで映画を作ってしまったということだ。いかにも日本の映画屋が考えそうなことだ。

上映中ずっと、例えば私がプロデューサーか監督だったらどう撮るだろうか、と考えた。
私だったら、高倉健を使ってヤクザ映画としてリメイクする。
そもそも、西部劇、特にマカロニ・ウェスタンと対をなすような日本のジャンル映画って、時代劇じゃなくて任侠映画なのではないだろうか。
香港ならカンフー映画
お約束と様式美、そして理屈抜きの娯楽性の世界。

舞台は東京や札幌といった都会よりも、川越あたりの場末のソープが良いだろう。北海道や九州の、元炭鉱街の古びたちょんの間でも良い(今でもあるのかは知らないけど)。
羽目を外した酔客がソープ嬢に乱暴を働き、警察の介入を嫌った店長は地元を取り仕切るヤクザに仲裁を依頼する。
暴力団への風当たりが強まる中、金銭での解決を提案するヤクザに対して腹の虫の収まらないソープ嬢は昔気質の渡世人を雇い暴力での報復を模索する・・・。
主役が高倉健なら、相棒のヤクザ崩れは北野武、3人目の若造には松田龍平あたりか。敵役にはそう、それこそ渡辺謙だ。
新法以降暴力を発揮できなくなりつつあるヤクザの現状と、終わりつつある開拓時代でのガンマンは境遇が似ているし、任侠映画全盛時代の生き証人とも言える高倉健なら原作のイーストウッドと張り合えるのではないか。

というようなことを妄想しながら、ラストの退屈な戦闘シーンを眺めていましたとさ。
値段分くらいは楽しめるけど、はっきり言って全然オススメしません。レンタルで本作を観るくらいなら、原作を何回でも観かえしましょう。