漁師町の教育事情

 最近中学生に勉強を教え始めた。
 所謂『私塾』なのだが、授業料は月5,000円+酒・野菜・米。夕方になると教え子が野菜や一升瓶片手に私に教えを請いに来る、というようなシステム。ちなみに授業時間は無制限で、納得するまで授業を行うことにしている。私は夕方には飲んだくれているので、いつも酔っぱらって日本酒片手に英語や数学、時には理科を教えている。最近は物々交換で調味料、マンガ程度なら時には書店で交換できるし、酒は私塾で手に入れるため、本当に基礎生活費がゼロに近付いて行っている。近所の農家で貰った野菜や果物を漬け物・ジャムに加工して、それをさらに配ることでより高価な物に変えたりもしていて、本当に田舎暮らしを堪能している。
 学生時代、お世話になった先生が教育ポランティアに熱心な人で、私も何度か小学生相手の演示実験(でんじろう先生のしょぼいバージョン)をしたことがあるが、その頃から『能登の、特に漁師町はヤバい』というようなことを耳にしていた。
 県外の人には分からないかもしれないが、石川県では確実に能登と加賀に教育や経済面で格差がある。例えば、私が住む崎山半島では今年度から中学校が統廃合され、スクールバスではるばる市街地の中学校まで通わねばいけなくなった。通学時間で大幅に時間が削られるため、当然街中の塾に通うことは出来ない。海や畑からの収穫があるため、単純に現金での計算が出来ないとは言え、やはり金沢と比べると収入の格差も大きい。
 他にも、そもそも農業や漁業が主要な位置を占める田舎では、勉強の価値が軽視されがちで、親がそもそも子供の勉強に関心が薄いケースもまま見られる。私の元に来る子供の中にも、街中の中学校に通い始めた途端勉強について行けなくなった、という生徒もいる。
 私が現在危惧しているのは次のようなことだ。
 個人的には、漁師町で学問の価値が低く、さらには学習環境の面で子供がハンデを負っているのは仕方がないと思っている*1。そして、その結果漁師町の小中学校の学力レベルが低いのもどうしようもない。ただ、大規模な市町村合併少子化に伴う学校の統廃合によって、それが不可視化されることが心配だ。
 要は、「漁師町はヤバい」と教職員に警戒されているうちはどうにもやりようがあるのだ。これが、統廃合によって「クラスに成績が悪い子がいるが、どうも漁師町の子らしい」などのように問題点が徐々にぼやけていくことに不安と憤りを感じる。
 そういった意味でも、私のような特殊な存在が、漁師町で地域の、特に子供達の役に立てたら、と思わずにはいられない。幸い、今回の中間テストでは一人かなり成績を上げた生徒がいて自分自身の自信になった。英語が年度初めの実力テストの40点台から79点になり、数学ではほぼ満点に近い成績を収めた。おそらく、クラスでも上位の成績を収めたはずだ。
 ちなみに酔っぱらっているときの口癖は「教育学部を四年しか出ていないような先公の言うことなんか当てになるか」。

*1:なにせ目の前には豊穣の海と台地が広がっている。極論すれば、生きていくのに学問なんか必要ないのだ。