2話。キャラクターの目に宿る力。

 2話「私…何がしたいの…」
 1話に引き続き、絵コンテは西村純二。脚本は新進気鋭の新人脚本家(笑)西村ジュンジ
 監督が50年代のプログラム・ピクチャー、80年代の大映ドラマなど、とにかく実写作品を意識して作っていることはインタビューで語られているとおり。そして、その影響が一番顕著なのはとにかく固定されたカメラワークだと思う。ちょっと昔の映画やドラマを見ると、近年の物と比べてぐっとカメラが大人しいことに気付くけど、true tearsでも、カメラの動きは最小限に抑えられている。役者(キャラクター)の顔を真正面からとらえて、じっと役者が台詞を発するのを待っているような、そんな凄味さえ画面から感じる。そして、そんな監督の要求に120点で応えて見せたのがキャラデザ・総作監関口可奈味。この作品、とにかく役者の「目の力」が凄い。
 中でも、特にその目にハッとさせられるのが比呂美。眞一郎と比呂美が一緒にいるシーンで、時々比呂美の顔がアップに、つまり眞一郎視点のカメラになるんだけど、あまりの緊張感に思わず息をのんでしまう。実は2話の段階ではどうして比呂美があんな重い空気をまとっているのか、もっと言えば比呂美と眞一郎の関係というのは幼馴染みで同居人、というくらいしか語られないんだけど、あの比呂美の目と、その目が視聴者に与える緊張感のみで十二分にその背後に何らかのドラマが潜んでいることが分かるようになっている。
 そして、この2話ではそんな「ドラマを感じさせる女」である比呂美が乃絵に続いて動き始める話。眞一郎に急接近する乃絵に嫉妬し、乃絵の悪口を吹き込んだり乃絵と友達になりたいと言ってみたり、とにかく眞一郎に対して「あんな女じゃなくて私を見て」と暗にアピールする。しかし、恋愛以上に将来に対して悩みを抱える眞一郎にそんな思いは届くはずもなく、眞一郎と比呂美の関係は空回りするだけ。さらにそんな比呂美を横目に、乃絵はどんどんと眞一郎との距離を狭めていく。比呂美の「女」である部分と、乃絵の「純粋さ」がこれでもかと対比されるお話で、2年前に初めて見たときは「くはあっ」と思わず声を出して唸ってしまった。そんな比呂美の暗くて重い部分は、3話以降どんどん蓄積していくことになるので、心して観ていきたい。