鵜浦町の神事

幸を願い新年占う 羽咋で「鵜祭」 暗闇のなか、鵜様が託宣
 暗闇と寒さの中、「来年こそよい年に」と願う参拝者約60人の熱い視線を浴びながら、神事が始まった。16日午前3時すぎの羽咋市寺家町の気多大社拝殿。お祓いの後、拝殿の明かりはすべて消され、1対のろうそくだけが本殿に残された。背後に広がる原生林の「入らずの森」が忍び寄って来るような静けさである。

 神前に放たれた「鵜(う)様」の動きで新年を占う国の重要無形民俗文化財「鵜祭(うまつり)」。神職の「鵜捕部(うとりべ)ー、鵜捕部ー」と呼ぶ声が聞こえたかと思うと、40キロほど離れた七尾市鵜浦町から3日がかりの「鵜様道中」で鵜を運んできた3人が「オー」と返事し、鵜の入った籠を抱えて昇殿した。
 大役を終えた鵜は再び籠に入れられ、近くの一ノ宮海岸に運ばれた。今冬最強の冬将軍の到来で海は白い波が押し寄せ、風も音を立てる。午前4時、ひとしきりカメラのフラッシュを浴びた鵜は、人間界の諸々の願いを振り払うかのように暗闇の大空へ飛び去った。(山本啓一)

 鵜祭 気多大社の祭神、大国主命(おおくにぬしのみこと)が現在の鵜浦町の鹿渡島(かどしま)に上陸した際、その地の神が鵜を捕まえてささげた故事にちなむ。毎年12月16日の未明に行われ、加賀藩前田利家も重要視したとの文書も残る。能の金春流で演じられる「鵜祭」はこの神事をもとにしている。羽咋市指定無形民俗資料。

北國新聞 http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20091217105.htm

 今現在私が住んでいる七尾市鵜浦町には、古代より続く風習などが多く残っています。「鹿渡島」「鵜浦」といった地名からも、なにやら神秘的なものを感じます。
 例えば秋の祭ですが、鹿渡島の神社に祀られた神が主役なのですが、由来が古すぎて在所の誰に聞いてもなんの神様が祀られているのか分からずじまいでした。鳥居が海に向かって建てられているので海にまつわる神様なのは間違いないのですが。古老によると、蛙の神様が祀られているという説もありますが、なんの神様かまでかは謎のままでした。しかし、そのなんの神様かも分からないものに対して、在所を揚げて朝から次の日の早朝まで皆で飲み、踊り回ります。そのパワーに圧倒されっぱなしでした。
 そして今回の鵜祭ですが、鵜浦で捕らえた鵜を徒歩で氣多大社まで運び、そこで行う儀式です。鵜浦で鵜を捕らえる役目を「鵜獲部(うとりべ)」と呼び、先祖代々とある一族が執り行っています。鵜を捕らえる場所や方法は秘伝とされ、在所の古老ですら知りません。毎年、秘伝の方法で捕らえられた神の使い(鵜)を、これまた秘やかに氣多大社まで運ぶのです。

 七尾は能登国国司国分寺が置かれたほどの古い街で、その中でも漁村が連なる海岸線沿いは古代より人々が住んでいたにも関わらず、ほとんど文献に登場しない地区でもあります。何とも神秘的な鵜浦。なんとかその神秘性の一端だけでも突き止めてみたいものです。