高畑君になりたかったあの頃

エスパー魔美 1 (藤子・F・不二雄大全集)

エスパー魔美 1 (藤子・F・不二雄大全集)

エスパー魔美 2 (藤子・F・不二雄大全集)

エスパー魔美 2 (藤子・F・不二雄大全集)

 現在大好評刊行中の「藤子・F・不二雄大全集」。近年復刻された藤子不二雄Aランドと併せて、日本を代表する巨匠マンガ家の全集がようやく出そろう事になる。
 私は小学生から中学生にかけてFFランドとてんとう虫コミックスを集めていたので、単行本初収録のものと「ジャングル黒べえ」以外はほとんど読んだ事があるんだけど、今回の全集も何となく毎月買い求めている。
 エスパー魔美は中学生の私にとって、SF短編集、ドラえもんに次いで好きな作品だった。そして今、15年ぶりくらいに読み返しているのだが、はっきり言って中学生当時よりも「面白い!」と感心しながら読んでいる。
 というか、こんなに「現代的」な作品だったのか。
 それにしても「エロい」漫画である。あのギラギラとした思春期の頃には感じなかったのだが、三十路を前に読んでみると、これが実にエロティックなのだ。藤子F作品にしては珍しく、「女子中学生」が主人公の漫画なのだけれど、魔美が必要以上に色っぽく描かれている。常にミニスカートで、しかも他作品に比べ下から見上げるようなアングルが多い。当然パンチラなどのカットも多く登場する。後は露骨にセクシャルなシーンとしては、画家である父親のヌードモデルを引き受けるシーン。これが、私の記憶にあるよりもずっと多くて、こんなに裸の多い漫画だったのか、と今さらながらに驚いている。
 先ほど、エスパー魔美が実に「現代的」な作品だ、と書いた。どこが現代的かというと、高畑君の存在だ。高畑君は、(おそらく)当時の漫画の主役級キャラにしては珍しく巻き込まれ型で、なおかつあまり深くは事件に首を突っ込まない、傍観者的な立ち位置を守ろうとする。魔美に助言はするが、魔美の意志や判断を尊重し、事件の内実までは踏み込まない事が多い。魔美が直情的ですぐ実行に移す性格なので、うまくバランスがとれたコンビとも言える。そんな高畑君の立ち位置が、近年のライトノベルなどのオタクメディアでの男性キャラの立ち位置によく似ている、と今回感じた。意識はしているが互いに鈍感であるが故に、二人が恋愛関係に発展する事は作中ではなかったんだけど、その辺もラノベ的だ。しかも、これが77年、30年以上も前の作品なのだから凄い。ガンダムよりも前の作品だなんて、信じられない。
 今回の再読で、中学生の頃高畑君みたいな人間になりたいと考えていた事を思い出した。ルックスは良くないけれどもの凄く頭が良くて、どこか達観していてもきちんと前向きで、しかもカワイイ女友達までいる。私は典型的な「田舎の秀才」だったので、ヒーローは無理でも高畑君にならなれるのでは、と考えていたのかもしれない。今読み返すと、高畑君の地に足の付いた、非常に大人びた前向きさが非常にまぶしく見える。そして、今でも「高畑君になりたいなあ。いや、今からでもなれるんじゃないか?」とか考えてしまえるから人生って不思議だ。