もう一回見て、少し考えた

サマー・ウォーズ

 お盆の帰省中に東京で二回目の鑑賞。
 うーん、褒めるところも何カ所かあるんだけど、それ以上にケチの付く場所が遥に多くて語るに困る作品。
 結局のところ、「単なる家族喧嘩」に主人公がよそ者のまま家族だけ(夏希・侘助・カズマ)で問題を解決してしまうせいで、視聴者が置いてけぼりにされてしまうのが物語にのめり込めない最大要因なんだろう。みんなの憧れの的、スーパーヒロインのひいおばあちゃんが途中退場してしまうのもしらけてしまう要因の一つ。世界の危機が家族喧嘩に集約されて、しかもそれを主人公とヒロインの身の回りだけで解決してしまう、という点ではサイバーパンクというよりはセカイ系の変化球なんだろうね、結局は。その辺が「ぼくらのウォーゲーム」よりも退化してしまったように感じられた要因なのだろう。そこそこ面白かったけどみんなに薦めるほどでもない、という評価は二回目でも変わりませんでした、残念ながら。
 
 あと、ちょっとお盆に帰省して、自分を含め親戚連中を眺めて栗原家に世界が救えるかどうかちょっと考えてしまった。私の実家は古い農家で、陣内家とは違って経済的には全く振るわないけれど、102歳の曾祖母さんが健在で強固な親戚ネットワークがあります。本家筋の従兄弟までを一つの区切りとして、いとこ会とも言うべき集団があって、曾祖母さんを筆頭に数十人、それぞれの配偶者を含めて七・八十人のネットワークがあります。私も含め盆暮れ正月・冠婚葬祭には勢揃いします。
 そして思ったのは、私たちに世界の危機は救えるだろうか、ということ。私は単なる漁師だし、兄貴は地方公務員(そして近い将来農夫にもなるでしょう)、いとこ連中も似たようなもの。銀行マンや製薬会社で働く親戚もいるけれど、ちょっと世界を救うのは無理そう。あと二十年くらいしたら、私が兄貴の子供に剣道を仕込んだり漁船を持ち込んだりすることは出来そうだけど、世界を救うまでは自信がない。ただ、何らかの形で血の何分の一かを一緒にする人間がこれだけいる、という安心感は凄いものがある。世界を救うのは無理だけど、社会に何らかの凄いことは出来るのでは、という不思議な自信が沸いてくる。そういった意味では、サマー・ウォーズは少しはリアリティがあるのかも。