結局3回観てしまった

 ヱヴァ・破、初日だけで3回観てしまった。
 好きな作品はそれこそセリフを覚えるくらいまで偏執的に繰り返し観てしまう方なんだけど、公開中に映画館で三回以上同じ映画を観たのは、去年だと「ダーク・ナイト」「実録連合赤軍あさま山荘への道程」の二本のみ。アニメだと「時をかける少女」以来。

以下、昨日よりは詳しい感想。ネタバラシを含むので白黒反転。
  
 結局のところ、ここ14年の間、「新世紀エヴァンゲリオン」よりも新しいアニメがあったかどうかは置いておいて、エヴァより格好いいアニメが無かったことを再認識した。こんなに楽しく格好良い映画をリアルタイムで観れた私は幸せである。
 それにしても、今回は本当に「大人が作ったフィルム」だった。エヴァ以降、アニメというのは30分エンターテイメントとして時間が持てばそれで良い、という風潮が出来てしまって、ちゃんとした作劇がなされた、少なくとも一般聴衆の視線にも耐えられるような作品はほとんど作られていないと思う*1。これはエヴァの前衛的な部分を何かと理論武装して肯定し、さらには後発作品群にも認めてしまった僕らエヴァ世代の責任でもある。現在、つまらないアニメばかり観させられている若いアニメファンには本当に申し訳ないとすら思う。
 そのような、受け手も作り手も成熟しているとは言い難いアニメ界で、今回のヱヴァは確実に大人向けのフィルムだった。 例えば登場人物たちの目と声の演技。味噌汁を差し出され、一瞬輝きを灯すレイの瞳。冷徹な司令官と無愛想な頑固親父の境界をさまようゲンドウのグラサン。さりげなく周囲に気を配るトウジ。次第に自信を蓄えていくシンジの目。etc.・・。声優では、手探りで少年少女を導こうとするミサト・加持の不安と余裕の折混ざった感じを表現しきった、三石・山寺の演技が素晴らしかった。特に三石琴乃には序に引き続き助演女優賞をあげたい。
 以前の庵野秀明であればもう少し奇をてらったカットや、もしくは逆に分かりやすい絵の動きで表現してしまったであろう部分が、非常に繊細なキャラの目線と声の演技で表現されていた。これは日常風景をド派手なロボットアクションシーンの間に挟み込まなければならず、その「動」の部分との対比として「静」の演出を組み込む必要があった、というのもあるのだろう。だけど、個人的にはあのエヴァから十数年経って、大人の余裕を身につけた監督はじめスタッフたちによる「大人の演出」のように感じた。
 今回の破は、かつてファンごとフィルムを押しつぶしてしまった庵野秀明による十年越しの大人の挨拶であるように感じた。おそらく2・3年後の公開になるであろうQが今から本当に楽しみだ。

*1:当然皆無ではない。しかし、ゼーガペイン電脳コイルといった傑作も作られているが、むしろ異色作として商業的には振るっていないという何とも言えない歯がゆさがある。