落語的日本情緒
ARIA The ORIGINATION Navigation.7 [DVD]
- 出版社/メーカー: メディアファクトリー
- 発売日: 2008/10/24
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原作を読んだときも感じていたことだけど、ARIAって落語的だよなあ。
一応世界観の解説をしておこうか。
舞台は近未来の火星。テラフォーミングに成功し、「アクア(水の星)」と呼ばれている。環境破壊によって荒廃した地球の遺構を移植し、文化・環境の保存に努めている。主人公の水無灯里(みずなしあかり)は地球のヴェネチアを模した都市、ネオ・ヴェネチアでウンディーネ(水先案内人)の見習いをしている。ウンディーネは『プリマ(一人前)』『シングル(半人前)』『ペア(見習い)』の三つの階級で構成されており、顧客を乗せての単独運航を許されているのはプリマのみ。ただ、シングルになると「トラゲット」というアルバイトが許される。灯里は、会社の先輩プリマであるアリシアさんの下でプリマ目指して修行を積みつつ、アクアのさまざまな人や自然とのふれあいを通じて成長していく。
ものすごく大ざっぱに紹介するとこんな感じ。ウンディーネの修行って、まんま落語家のそれだよね。ペア(前座)・シングル(二つ目)・プリマ(真打ち)って置き換えると、まさしくその通り。シングルになると他社との共同でアルバイトが許されるなんて、そのまんま。四巻の屋形船営業なんて、客が身内ばかりなのも含めて、二つ目の勉強会を思わせる。また、ウンディーネは所謂「通り名」というのを持っていて、これも落語家の名跡と同じようなものだろう。きっと、アクアでは代々受け継がれている名跡があるに違いない。アリシアさんが余りにも偉大だったために「白き妖精(スノーホワイト)」は一時的に空位になっているが、じきに灯里が継ぐのではないだろうか。業界最大手姫屋の跡取り娘藍華はさながら柳家花緑、その藍華が破天荒でフリーダムな灯里に影響を受けるのは花緑と志らくの関係を思わせる。そしてアリスが飛び級でプリマに昇格したのは小朝の36人抜きでの真打ち昇進のようなもので、そりゃあ伝説にもなろうものだ。
そう考えると、アリアカンパニーが非常に小さい会社なのも頷ける。大手2社は芸術協会・落語協会みたいなもので、アリアカンパニーは立川流みたいな扱いなのだろう。昔一悶着あったに違いない。
お話自体もかなり落語的。人情噺から粗忽話までバリエーションに富んでいるし、スピリチュアルな存在(ケット・シーとか)がすんなりと受け入れられているのも、なんとも落語的。特に原作は見開きでアクアの一風景が切り取られ、それを中心に物語が描かれる、という構成なんだけど、この風景を切り取ってそこに読者を引き込む、というのは古典落語の江戸世界のそれと技法的には同じようなものだろう。
多くの視聴者がおそらく感じているであろう、「ARIA」の世界観の居心地の良さやノスタルジーというのは、この落語的世界観に起因しているんじゃなかろうか、というのは考えすぎだろうか。きっと、考え過ぎなんだろうなあ。
なにはともあれ、アニメ視聴の途中からウンディーネの修行が完全に落語家のそれに感じられて、真面目に観ることが難しかった。アリシアさんはきっと「修行は不条理に耐えること」とか言いながらとんでもない修行をさせているに違いない。