『世界』との戦いは目の前にある。


 先月金沢で鑑賞。
 この映画も良い映画だった。ストーリーがちょっと大ざっぱなところがあるけれど、じんわりと感動して、考えさせられるところもあって、そして少し元気をもらえる、そんな青春映画だった。
 実話を基にしたフィクションらしく、地名などはほとんどそのまま出てくる。「紙の街」である四国中央市を舞台に、そこでの地域興しにまつわるエピソードだ。
 とにかく素材が良い映画だなあ、と思った。成海璃子を初めとした五人の女の子がとにかくカワイイし、海の風景や四国中央市の町並みも風情があって、そこに行ったことすらない私ですら奇妙な郷愁を持って映画に感情移入することが出来た。そして、その素材を使って、非常に真面目に作られた映画だった。

(以下ネタバラシを含みます)
 何が良いって、「めでたしめでたし」のお話にしなかったところ。
 結局、何も前進してないんですよ。主人公が優勝して、街にも活気が戻って、町工場も復活して、、、フィクションなんだからそうしても良かったはずなんだ。多分、テレビドラマだったらそうしてしまうとこなんだけど、映画スタッフはあえてそうはしなかった。
 主人公は最後に大ポカをするし、おそらく商店街はあのままだろうし、町工場も復活はしないだろう。「だけど、それでも仕方がない」「だけど、目の前から少しずつやって行けばいいじゃない」そういうメッセージのこもったラストは、非常に地に足が付いた、リアルな結論だと思う。そして、リアルだからこそしっくり来ない人もいると思う。そんなあえて現実よりの結論を映画に要したスタッフの決断には素直に敬意を表したい。
 あと、映画とはあまり関係ないところで考えさせられたのは、「貧しさ(あるいは世界からの抑圧)を描くのに、60年代や異世界を用意する必要はなくなってしまった」ということ。
 ゼロ年代では、例えば貧しさを描くのには三丁目の夕日のように「昔の貧しかった頃」を描いた。世界との戦いには、セカイ系のように漠然とした異世界を用意した。それは、メインのお客さんがバブルの栄光や脳天気な90年代を知る僕らや僕らよりも年配な人たちだったから。時は移り変わって10年代、今高校生の90年代生まれの子供達は、あの90年代の空気すら知らない子供達だ。物心ついた頃には日本は不況で、大人は下を向き、日本の未来は暗かった。そんな子供達に「世界からの抑圧」を描いてみせるときにおとぎ話は必要ないのだ。彼ら彼女らにとって、すでに生まれて以来相対してきたこの世界・社会はすでに我々の世代が日夜感じている閉塞感に包まれていた。もう貧しさやそれによる閉塞感を舞台として匂わすには、現代をリアルにカメラに写し込みさえすれば事足りる時代になってしまった。そんなことを痛切に考えさせられるフィルムだった。
 まあ、そんな暗いことを考えなくても、女の子はかわいいし、女の子はかわいいし、女の子はかわいいし、そして五カ所くらいで思わず涙ぐむ、そんな青春映画です。オススメ。