(自分が)思い通りにならないもどかしさ

ラブプラス

ラブプラス

 今さら雑感を。
 このゲームの新しいところは、リアルタイムモードにおいて自分をコントロールしなければならない、というところなんだろうな。
 デートの約束をしたら、その日その時間は「なんとか時間を工面して、なおかつ家にいて*1DSを起動しなければならない」というのは凄い事だと思う。*2だって、その約束したのはゲームのキャラなんだよ!?丹下桜はにゃ〜んと声をあてていても、別にゲームのキャラはゲーム内設定において自分の“恋人”となっていても、おいらたちと結婚してくれるわけじゃないんだぜ。しかしまあ、それでも仕事のない日はこうして一人薄暗い部屋でDSを起動してしまうわけだ。繰り返すけど、これって凄い事だぜ。
 今までの恋愛シミュレーション(ときメモとか、そういうゲーム)っていうのは、なんとかして自分の制御下にない女の子たちを口説いて、自分の制御下に置くゲームだったんだと思う。だからこそ、“攻略”なんていう険しい単語を使うのだ。一方で、ラブプラスにおいて“攻略”という単語を使っているのはあまり見かけないし、確かにラブプラスに“攻略”という単語はあまりピンとこない。
 それはなぜなのか?
 多分、それはラブプラスにおいては、攻略しているのは、もっと言えば何とか制御下に置こうとしているのは女の子じゃなくて自分自身だからなんだと思う。
 ゲームにおいて、現実世界は大きく省略・デフォルメされて娯楽性を失わないようになっている。ときメモにおいては授業が省略されていることでテンポを良くし、心地よい学園生活が送れるようになっている、と看破したのは芥川賞作家・ブルボン小林*3だ。では、ラブプラスでは何が省略されているかというと、なんと失恋が省略されている。一度恋人になってくれた女の子は、決してプレイヤーを振る事はない。デートをすっぽかそうが、何週間放置しようが、真摯に謝れば必ず許してくれる(このゲームキャラに“謝る”というのも凄い話だけど)。そして、省略せずに残っている物、それはプレイヤーの日常だ。ときメモでは授業という退屈な日常は省略されたが、当然ながら我々自身が日々立ち向かっている日常は決して省略されることはない。我々は我々の日常に合わせてデートなどのスケジュールを組む、そして日常を過ごしデートを楽しむ。そこでは、日常とゲームはどこまでも地続きだ。ゲームが日常生活に濃密に入り込む事で、我々の日々の生活はいつのまにかラブプラスと混ざり合ってしまうのだ。
 そうなると、今度は思うにならない自分の日常がもどかしくなってくる。従来の恋愛シミュレーションでは女の子を“攻略”する課程で、その思うにならないもどかしさをゲーム性として楽しんでいたのが、ラブプラスでは思うにならないのはわれわれの日常の方だ。休日出勤や急な用事でなかなかDSを起動できなかったり、肝心の日曜日に寝坊してしまったりして彼女たちに怒られた人は数知れないだろう。そして、彼女たちゲームキャラのために“時間を工面して”デートに興じるのだ。繰り返すが、これは本当に凄い事だ。
 われわれプレイヤーは、彼女たちとのデートのために予定をやりくりする事そのものをゲームとして楽しんでいるのである。まさしく、「大人のための」ゲームと言えるのかもしれない。いくらでも予定をやりくり可能な学生だったら逆にここまでは楽しめないだろう。
 そして、もし2作目や類似作の登場があるのなら、この辺の難易度を思いっ切り上げてみたらどうだろう。なんでも、プロデューサーはGPSとも連動させて、特定の観光地でのイベントを発生させる、というようなアイデアも持っていたらしい*4。おそらく多くの人間は脱落してしまうだろうが、千人くらいは女の子とのデートイベントをコンプリートするために日本中を飛び回る猛者も現れるだろう。もし、GPSを使ってセンチメンタルグラフティみたいなゲームを作ったら凄い事になりそうだ。女の子と週末にデートの約束を取り付けたら、実際にその場所まで行かねばならないのだ。鉄道で移動する場合は、駅や新幹線の車内でばったりと女の子と出くわす事もあるかもしれない。駅や空港を待ち合わせ場所に選んで、ホームを出た瞬間DS上に女の子が現れた瞬間など、涙すら出るかもしれない。

*1:さすがに自宅外でやるのは難易度が高すぎる

*2:休日のデートならまだいい、平日の昼間に呼び出された日には、普通の会社員の皆さんはどうやってプレイしてるんですかい?という感じだ。

*3:ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ (ちくま文庫)

*4:http://www.4gamer.net/games/094/G009426/20090831014/