変わりゆく仏教のあり方

寺よ、変われ (岩波新書)

寺よ、変われ (岩波新書)

 私の実家は真言宗系寺院の檀家で、また町の象徴で山岳信仰の対象である岩舟山には天台宗の古いお寺がある。花祭りやお盆にはお坊さんのお世話になるし、曾祖父・祖母のお葬式も自宅で執り行われた。高校の剣道部では合宿の度に禅寺に放り込まれ、朝昼晩座禅を組まされた。真宗王国である金沢に引っ越してからは、頻繁に近所の寺院での催しに顔を出すようにしていて、蓮如忌や四万六千日の法要にはなるべく参加するようにしている。神道に関しては、やはり実家が農家なためか、産土神がどこにまつられているかは重要な案件である。金沢に来てまずしたことは産土神がまつられている神社を探すことだった。ちなみにこの界隈の産土神卯辰山の豊国神社にまつられている。隣には大国主がまつってあって、卯辰山がそういった大地神の象徴であったことがわかる。
 というわけで、私は年齢の割にかなり信心深い人間なんだろうと思う。母型の祖母の葬式は葬式ホールでの今風の葬式だったのだが、正直送った気がせず気分の余り良くない物だった。
 この本は、昨今の『葬式仏教』と揶揄される仏教界に厳しく一石を投げかけている。地域との縁が薄れ、戒を守らず、葬式に念仏を上げるだけの仏教界に未来はない、とまで断じる。著者本人も長野県に寺を構える現役僧侶で、実際に寺で行っている試みが詳細に記され、あの世とこの世の橋渡しをする際に、現代の寺院ができることを提言している。
 その提言は、全てが頷けるものではないかも知れないが、行き詰まりを見せる仏教界における一つの参考意見としてはかなり重要なものだろう。宗教者としてその生死を見詰め、いくらかでも人間の心を和らげたいと願うその心こそが、仏教のありようそのものだとも思う。
 仏教の一信徒として、今後の仏教界の行く末を静かに見守りたいと思う。