クジラは誰のものか

クジラは誰のものか (ちくま新書)

クジラは誰のものか (ちくま新書)

ああ、何やらつまんないものを読んでしまった。なんというか、本人は四年越しで書いた、と言っているが新しい見識がほとんど感じられなかった。川端裕人氏の「クジラを捕って、考えた」や駒村吉重氏の「燻る鯨影」の方がよっぽど独自の見識に溢れている。捕鯨について知りたい人は、この2冊は読んでおきましょう。凄くためになります。
ちなみに私はクジラ肉が大好きで、環境に影響を与えない範囲での商業捕鯨にも当然おおむね賛成である。シーシェパードなんて、9条さえなければ日本の軍用艦で沈めてしまえばいいとすら思っている。といっても私は9条に関しては護憲派なんですが。
おおむね、と書いたのは、やはり捕鯨に関しては国際的世論が無視出来ないからだ。国際的な世論を全て敵に回すくらいなら、調査捕鯨で我慢しておいた方が良い。いまでも、高価かも知れないがなんとかクジラを口にすることは出来るのだから。
この新書を書いたのは学問畑の人らしいが、捕鯨に関する日本の負の歴史が抜け落ちている。いや、抜け落ちている、というのは言い過ぎかも知れないが、意図的に簡単に書いて済ましているとしか思えない。白人の皆さんが日本を糾弾し続けるのには訳がある。環境保護以外にも、日本に対する不信感があるのだ。
戦後、海洋資源保護の観点から鯨の保護が叫ばれ、漁獲量の制限が設けられる。しかし、この漁獲制限は種の保全という観点が抜け落ちているザルのような制限だった。それをいいことに、日本は我先にと南氷洋へ繰り出し、当時の時点ですら異常とも言えるような乱獲を行った。その後も制限は厳しくなるが、結局のところモラトリアムが採択されるまで日本は違法操業スレスレの乱獲を繰り返したのである。確かに19世紀以降クジラを乱獲したのは欧米諸国も同じだが、種の存続が困難なほどにまで取り尽くしてしまったのは他ならぬ日本なのだ。そんな日本が「ミンククジラくらいは捕らせてくれ」と言ったって聞き入れてくれないのは当たり前だ。
少なくとも、我々捕鯨再開論者はそのくらいの負の歴史は原罪として背負わねばならないのではないだろうか。その上で、地道な話し合いを行うしか捕鯨再開への道はない、と私は考える。
クジラを捕って、考えた (徳間文庫)

クジラを捕って、考えた (徳間文庫)

非常にためになる本です。捕鯨に関して、どこまでも中立な立場で書かれています。こういう本は実に貴重。
イルカとぼくらの微妙な関係

イルカとぼくらの微妙な関係

上の続編。文庫落ちはまだしてないようです。
煙る鯨影

煙る鯨影

上の2冊とは打って変わって、日本近海で行われるツチクジラ漁のドキュメンタリー。近海での商業捕鯨に関する数少ない文献です。