漁師は楽しかった

 昨日、七尾から帰ってきました。漁師研修は非常に厳しくも非常に楽しいものでした。もしかしたら向いているのかも知れません。
 以下、漁師体験レポートです。長いので畳みます。


5月31日
 金沢駅を13時49分出発。七尾線に乗るのは去年の長谷川等伯特別展以来。以降、能登目指してゆっくりと列車は進んでいく。津畑で高校生があらかた降りてしまうと、車内は完全に空気を運んでいる状態になってしまった。車窓の風景もどんどん寂しくなっていく。
 15時17分七尾駅に到着。八月からは私のホーム・ステイションになる駅だ。長谷川等伯の像があり、なんとなく七尾に来た気分が増していく。ここで、鹿度島行きのバスまで一時間ほどあるので、駅の回りをぶらぶらした。駅の回りは開けていて、商店街もそれなりに元気であることが見て取れる。街の規模はちょうど栃木市くらいだろうか。ただ、栃木市よりもはるかに元気である。駅前で七尾高校の生徒を見かけ、『ほうっ』と唸る。いつ見てもコスプレに見えてしまう(失礼!)。*1
 七尾駅からバスに乗る。ここでびっくりしたのだが、北鉄バスのはずがICAが使えないのだ。どうも加賀地区近郊のみらしい。バスのなかは私以外は病院帰りといった風情の老人ばかり。大きなトランクを抱えた私は完全に異邦人である。結局終点の鹿渡島漁港まで乗ったのは私一人。
 バス停からとぼとぼと歩いていく。日曜の漁村は静まり返っていて『寒村』という言葉がしっくりくる。こうして鹿渡島定置の事務所(番屋)にたどり着いた。目の前には富山湾、そしてすぐ先には能登島が間近に見える。明日から上手くやっていけるか非常に不安だが、まあ何とかなるだろう。

六月一日
 初仕事。前夜は緊張と不安からかあまり寝つけなかった。こういう時、私はやはり小心者である。
 朝四時出航ということなので、朝三時ごろ起きて作業着に着替える。ちなみに、新入りが悪目立ちしてはまずい、という配慮から今回の研修に和服は持ってきていない。三時半ごろには漁師の皆さんがちらほらと集まってくる。親方(社長)が前もって話を通してくれていたおかげか、挨拶をすると大きな声で挨拶を返してくれた。とりあえず親方に何をしたらいいか聞くと、ゴムのつなぎとゴム手袋、雨合羽をくれた。「今日からこれを使ってください」とのこと。
 恰好だけ一人前になっても、何をしたらいいか分からずおろおろとするばかり。四時前に皆が船に乗り込んだので、慌てて私も乗り込む。19トンの中船(網を引き上げるための主要作業船)と伝馬船と呼ばれる小型船に分かれていざ定置網の設置してある漁場へ。
 30分ほどで能登島のすぐ脇にある網に到着。慌ただしく網を引き上げる作業が始まるも、この時は何をしていいか分からず邪魔にならない場所に立っていることしか出来なかった。しばらく見ていると、「おうい。こっち来て網引っ張らんかい!」と言われ、慌てて船の左舷側に立ち、ひたすら網を引っ張る。これがなかなかに重労働で、瞬く間に汗だくに。余りに汗だくだったせいか、船頭が「こうして引っ張るんだ」と腰を伸ばし、お手本を見せてくれた。たしかに腰をピンと伸ばすと不思議と力が入る。しばらく引き続けていると、網の端に追いやられた魚群が肉眼で見えはじめた。網一面のスルメイカである。(おい、こいつは凄い)とちょっとした感動に打ち震えていると、「おうい。今日は大漁だぞいや」と親方の声。
 実際この日は年に何度も無い大漁で、スルメイカだけで十数トン。ほかにもアジ・サバが大漁。親方や年配の漁師さんに「あんたが魚を連れて来たんや」と、ジンクスにこだわる漁師らしい言葉を掛けられ、なんとなく嬉しかった。何もせずにぼうっと立っていただけだが、(おいおい、漁師って楽しいじゃん)と何となく思う。
 しかし大変なのはこれからで、網の魚をひたすら船倉に引き上げる作業が続く。船倉は全てイカで埋まり、甲板上まで魚で溢れ返った。この時点で腰と膝がガクガクになってしまい、ぐったりとなって帰港。そしてさらにこれをひたすら選別し、出荷用のタンクに移し変える作業が待っていた。普段の数倍の水揚げとあって、この作業も数倍。握力もなくなり、歩くのもやっとなくらいふらふらになりながらタンクを運びつづけた。この時仕事を丁寧に教えてくれたのが、私の次に新顔のTさん*2。これ以降、何かにつけてTさんに仕事を教わることになる。
 普段は九時ごろには終わるという出荷作業を終えたのは昼過ぎ。ここまで八時間全く休憩なし。当然食事も一回も取っていない。作業の合間に飲んだ缶ジュースのみ。早くも(こりゃあ、おれに向いてないんじゃあ)という思いが胸をよぎる。
 一時ごろにようやく食事休憩。しかし、はっきり言って疲れ果ててしまい食事が喉を通らない。ここまで、精根の最後の一滴まで疲れ果てたのは高校の剣道部の合宿以来である。この食事のときに改めて親方からみんなに紹介され、今朝の大漁と私の歓迎祝いにビールが振る舞われた。ちなみに社員の数は12名。大半が二十代で、私よりも若い。船頭からして私よりも一つ年下である。
 結局この日は午後に予定されていた作業は行われず、ちょっとした後片付けと次の日の準備のみで二時ごろ解散。私は何もする気が起きず、ぐったりとするばかりであった。このままやっていけるのだろうか、という不安ばかりが募る一日目であった。

六月二日
 昨日と同じ時間に起きて作業開始。全身が疲労と筋肉痛で体が非常に重く感じる。二日目ということで、それなりに雑用をこなす。ロープの結び方など、新しい仕事に関しても親方と船頭から丁寧に指導が。そういえば、船に乗ってからあまり怒鳴られていない。当初は何度も怒鳴られ・小突かれながら仕事を覚えていくようなことを覚悟していたのだが、この会社に関してはそのようなことは無いようだ。とっさに怒鳴られるのは安全に係わることと、操業全体に影響を与えるようなミスをしたときくらい。
 昨日と同じように網を引き上げ、魚を船倉へ。漁獲量は昨日の三分の一くらいか。Tさんによれば、普段これくらいかこれよりも少ないぐらいだという。朝六時に帰港して、いったん選別・出荷作業を行う。そして八時ごろ二つある漁場のうちもう一方へ。網を途中まで引き上げ、それなりの量の魚群を確認して、水揚げはせずに撤収。たくさん水揚げしても返って値崩れを引き起こし、損になることがあるためだ。
 そのまま帰港して後片付けと食事休憩。二日目ということで、それなりに食欲がある。賄いはアジとスルメイカの刺し身にサバのみそ汁。アジとイカはこれまで食べたどの刺し身よりも美味しい。これを食べてしまうともう金沢では魚を食べる気にはしばらくならないだろう。
 この後、網の交換が予定されていたが、潮の流れが存外に速く断念。作業は次の日に持ち越しで次の日は朝三時出航の連絡が。今日は12時過ぎに解散。

六月三日
 昨日伝達があった通り、朝三時出航。三日目ということで、それまで挨拶程度しか交わしていなかった他の社員さん達から次々と話しかけられる。大学院まで出ておきながらなんで漁師なのか、と皆に言われる。今日は筋肉痛もなく、体が大分楽になってきたのを感じる。(これならやっていけるかも)と静かな自信を感じはじめた。
 いつもより一時間早い出航ということで、空は満天の星空。海の上には先日解禁になったばかりのイカ釣り漁船が漁り火をこうこうと灯しながら操業していて、素晴らしく美しい。思えば一日目にもイカ釣り漁船は出航していたはずで、ようやく景色を見る余裕というやつが出てきたということだろう。
 結局今日も網の交換は出来ず、港に置いてある他の網の補修から先にやることになった。今日は網をクレーンで作業場まで運んで終了。出勤が一時間早かったのでこれまた昼過ぎに解散。

六月四日
 四日目ともなると、それなりに仕事のペースが掴めてきた。また、先輩たちを見ていて一つのことにも気付く。漁師は休憩を取るのが巧いのだ。船の移動中、ちょっとした作業の合間合間に上手に休憩を取っている。ああすることで、体を楽にしているのだ。
 今日は船の上で、親方から具体的な入社の日取りについて話した。入社は八月一日からで、Iターン就労者用の宿舎に入ることに。仕事でも雑用レベルの簡単な仕事ならほとんど怒鳴られなくなり、この仕事をやっていく自信がますます付いてきた。
 今日の水揚げは昨日までと比べてかなり少ない。八時ごろには食事休憩で、九時から網の掃除と修理に取りかかる。これがかなり大きい網で、昼の一時ごろに船頭から残業の知らせが。ちなみにこの会社の定時上がりは二時で、暇なときはこれよりも早い上がりになる。
 結局この日は四時ごろに解散。網の修理はまだまだかかりそう。
 ちなみに今日は大問題が発生。金沢から持ってきた本を全て読みおわってしまったのである。漁師は自由な時間が多いとは聞いていたが、予想以上に暇な時間が長いのだ。大学にいたときには考えられないほど「何もない時間」が多い。先輩漁師に「大学には朝八時ごろから夜九時すぎまで詰めていた」と言ったら逆に驚かれた。
 仕方がないので、Tさんに七尾駅まで連れていってもらい、本屋で何冊か本を購入した。

六月五日
 親方が法事のため今日は休み。そのせいか、船頭や副船頭を始めとして少し空気が緩い。今日もTさんにくっついて仕事を教わる。網の引き上げについてはかなり馴れてきて、体も楽になってきた。後はもう少し複雑な仕事を覚えたいが、あくまで研修中の身ということで、危険な装置にはまだ触れていない。
 午後は網の修理の続き。補修箇所がかなり多く、今日中に終わらすのは無理ということで、昼の二時に定時で解散。 

六月六日
 今日で一週間が経過。
 今日は海が凪いでいたので、懸案だった網の交換を行った。定置網はいくつもの網を組み合わせ、湾を移動する魚群を一網打尽にする、という仕組みだ。定置網漁師の仕事は毎朝網を引き上げ、そして定置網をパーツごとに補修・交換していくことの繰り返しだ。
 網の交換は非常に重労働で5時間近い時間を要した。しかし中船と伝馬船を利用して非常に巧みに網を交換していく。これは完全に熟練の技の世界だ。2、3年後には私にもできるようになっているのだろうか?
 今日は網を交換して、2時頃解散。なんとか定時までに終了した。

六月七日
 研修中、初めての休日。
 自動車はおろか自転車すらないのでバスで七尾駅まで行き、駅周辺を散策。駅前の良い雰囲気の商店街を散策した。城端もそうだけど、伝統的な町並みを積極的に保存していこうという気概が感じられて非常に良い。
 特に、「悉皆」を看板に掲げる呉服店を見つけうれしくなる。店内を見ると、実に雰囲気の良い呉服店だ。普段は和服を常用していることと、再訪の約束をした。
 この日は結局夕方に番屋に戻っていつもより早く就寝。

六月八日
 研修も2週目に入り、今まで以上に他の漁師さんたちがフランクに話しかけてくれるようになった。
 今日は普段通りに網を上げたあと、網の修理の続き。それも早々に1時頃解散。
 特筆すべきは、この日七尾港と金沢港に大漁のクロマグロが水揚げされたこと。その数千数百本。親方も解体・仕分けなどの手伝いに市場に向かった。このクロマグロは巻き網漁船で捕獲されたもので、例年は境港まで行って荷下ろししていた物を、今年は石川県に誘致したそうだ。なんでも「能登本マグロ」というブランド化を目指しているらしい。
 親方が心臓や腸といった内蔵を貰ってきて、みんなで分けた。これがべらぼうに美味しい!特に心臓は上等なレバ刺しと牛タンを合わせたような味と食感。漁師しか食べられない珍味中の珍味だそうだ。

六月九日
 この日は定時で仕事が終わったあと、親方・船頭、あとは親方の中国語の先生と四人で七尾駅前まで飲みに行った。当然親方のおごり!
 一軒目は居酒屋で、ビールの品揃えが素晴らしかった。久しぶりに飲む本格的なデュンケルは本当に美味しかった。普段は圧倒的に日本酒派だけど、こうしてきちんと管理されたビールはやっぱり美味しい。こういうちゃんとした飲み屋があるのはうれしい限り。
 二軒目に言ったのは船頭の行きつけのバー。親方が騒がしい店が嫌いなので、女の子もカラオケもない本格的なバーに行った。ここはかなり良い店だった。田舎なのにちゃんとしている。この「ちゃんとしている」店は金沢でもあんまり無い。ここでは品揃えがけっこう良かったのでウィスキーを飲む。しかも安い!多分七尾で暮らすようになったらちょこちょこ来ることになるだろう。
 また、この日は船頭からいくつか重要な話を聞いた。漁協組合員と漁業権についての話だ。私が入社する定置網の会社は七尾市鵜浦町というところにあるのだけれど、鵜浦地区の漁業権は一年以上地区内に住んで、漁業に従事すれば貰えるらしい。私が入居予定の宿舎も鵜浦地区内にあるので、入社して一年、来年の夏には漁業権が貰えるとのこと。漁業権を取ればサザエやアワビを採ったり、釣り船を副業として営業したりすることができる。実際、副業で小遣い稼ぎをしている漁師もたくさんいるとのこと。だいぶ、漁師としての生活のイメージがつかめてきた。

六月十日
 今日は網にガンド・フクラギ*3がたくさんかかった。夏の鰤は脂がのっていないので安いのだが、やはり大きな魚が網にかかるのはうれしい。
 いつも通り食事休憩のあと、先日交換した網の掃除。定時通り二時に解散。

六月十一日
 研修最終日だが、今日が一番しんどかった。なんと、十二名いる社員のうち半分の六人しか来ない。結局、親方・私を入れた八人で出航。2週目に入ってようやく分かったことなのだが、漁師はけっこう頻繁に仕事を休む。さすがに親方や船頭が事前連絡無しで休むことはないが、平船員は体調不良や寝坊で平気で休んだりする。当然休んだ分は給料や賞与に影響を与えるのだが、連絡無しで休むことがそんなに咎められている様子がない。どうもそういうものらしい。そのアバウトさに、ちょっとしたカルチャーショックを受けた。
 しかも今日は明け方から大雨と風で海が荒れ始め、結局網を上げて魚を出荷しただけで、九時前に解散。どうもこういう日もたまにあるらしい。漁師ってスゲエ仕事だ。
 その後はみんなに八月の再訪を誓い、駅まで車で送ってもらって金沢に戻った。しかしこの二週間で思ったことだけど、漁師って本当に楽しい仕事だったよ。実験の引き継ぎなど諸事がなければ来週からでも入社したいくらいだ。あと、私が入社する予定の会社は小さいけれど、かなりポテンシャルを秘めた会社だと思った。5年後には売上高を伸ばして小金持ちにでもなりたいもんだ。

*1:七尾市が舞台の18禁PCゲーム「痕」に登場するキャラクター柏木 楓は七尾高校に通っているという設定

*2:名を伏せる必要は全くないのだが、本人にブログに書く旨の了解を取っていなかったので念のため

*3:小型の鰤